INTERVIEW
八王子片倉店・野﨑オーナーインタビュー
野﨑 隼斗
- 開業日
- 2018年9月2日
- 店舗
- 八王子片倉店(東京都八王子市)
- フランチャイズオーナー
- 野﨑 隼斗
- oh!庭ya!店舗ページ
- https://www.oh28ya.com/branchf/hachiojikatakura/
野﨑 隼斗 オーナーの開業STORY
相模原のサッカー少年
神奈川県の相模原市に生まれました。生まれも育ちもずっと相模原です。
サッカーが好きの少年で、小学校1年から中学3年まで、本当にサッカーに明け暮れていました。
ちょうどドーハの悲劇あたりの時期だったでしょうか。カズがいて、みんなキャプテン翼を読んでいて・・・サッカーが盛り上がっていた時期でした。
小学校時代に在籍していたクラブはずっと相模原で一番強かったチームでした。
自分で言うのも恥ずかしいですが、結構頑張ってはいたので、相模原市の選抜に選ばれたり、県選抜に選ばれたりもしていました。
高校に行く意味を見出せず、「働く」道を選択
私は学歴がなくて、中学校卒業が最終学歴。
遊びたい盛りでしたので、中学3年生ぐらいから「中学を出たら働く」とまわりに言っていました。遊びたい、お金がほしい、というのもありましたが、それ以上に学校に行ったその先の未来が描けなかった。
親にもそう言っていましたから、当然反対もされました。
「学生生活は今しかできない」と。だから、「もう3年ぐらい(学生を)やってみれば?」「友達の輪も広がるし、行きなよ」と諭されて、それに一旦は流される形で「とりあえず行くか」と高校に進学しました。
でも、やっぱり続かなくて。
学校に行きながらアルバイトもしていたので、やっぱり「もう働こう」と。それで、高1の夏ぐらいに、親に「やっぱり働きたい」「多分、学校にいるよりも社会に出た方が自分のためになると思う」と、そんな話をしました。
中学を卒業したら働く・・・その思考は、今思えば身近にいた祖父の影響が大きかった。
祖父が実家で小さな工場を経営していて、それを安易な考えで、「自分が継ぐんだ」と勝手に思い込んでいました。父親は別の仕事をしていて、継いでいなかったから、というのもあります。
祖父の「中学を出てからずっとこの仕事をやっている」という話を昔から聞いていたので、「自分も」と思うようになっていったんだと思います。
だから、サッカーの県選抜に選ばれたときも、その話をお断りしました。中学を卒業したら働くつもりでいるわけですから、「自分を選ぶよりも、その1人にはもっと志ある人を選んだ方が良い」って顧問の先生に話をしました。
働きたい。でも、何をすれば良いかわからない。
ただ、何もない。何をやるかが全く具体的ではありませんでした。
仕事をしたこともないですし、しかも、その頃には祖父の工場も閉めるという話が出ていた。だから祖父から「違う道を探せ」と言われていたんです。「時代が時代だから、この仕事じゃなくてももっといっぱいあるだろう」と。
でも何もわからない。どうするか…と悩んでいました。
そんなとき、僕の中学時代の友人の父親がエアコン屋・空調屋を営んでおられ、「うち来い」って声をかけてくださった。それで、そこに就職し、結果そこで1年半ぐらい仕事をさせてもらいました。
いわゆるエアコンの整備。ファミリーレストランのエアコンの洗浄などです。
夏場なんかはめちゃめちゃ忙しかったですね。本当に3日間寝ない、なんてザラでした。夜の店舗の営業後の清掃の仕事もある。だから昼も夜も忙しすぎて、移動中に体力温存していました。
祖父の影響、また、父も自身で事業をやっていましたから、自分も「自分で何かをやりたい」「事業をやりたい」という思いはもう中学校のときからあったので、空調の仕事をしながら、独立の道はずっと模索していました。「自分に合うものはないか?」「この先うまくやっていけるものって何だろう?」と、ひたすら探していました。そこで、ピカーン!と来たのがエステでした。
独立を目指し、エステの世界へ
当時、メンズエステの会社が結構テレビCMをやっていました。大手の会社です。ちょうど伸び盛りの時期だったのかな。
でも、自分は学歴がないので、普通には就職できない。
道はないかと辿っていくと、その会社がスクールをやっていて、そこに行けば就職できるチャンスがあることがわかった。
そこで、説明会に行っていろいろとお話を聞ききました。
説明会ではスクールの先生に、「その先本当に就職できるのか?」と問い詰めて、「このスクールを出ていれば、もう十分に権利があるから」と言ってもらえて、よしやってみようと決断しました。
それから2年間スクールに通いました。
当時、17歳。スクールを卒業したときが19歳だったかな。就職したその年に成人式がありましたから。
2年間のスクールでは、座学と技術がありました。本当にエステに特化したスクール。エステと言うと幅は広いですが、とにかくフェイシャル、痩身、脱毛と全部やっていたところなので、全部を学びました。
卒業後は予定通り就職。
就職後はすぐに店舗に配属され、お客様のカウンセリングをして、施術して、そんな日々でした。
「お金を稼げるだろう」そんな甘い気持ちでは勝てない
でもそれも結局2年ぐらい。3年経たないくらいで辞めました。
上司の方から良くしていただいていて、管理職向けの研修を受けるよう勧められたりもしていましたから、環境には不満はありませんでした。
それでも辞めようと決心したのは、「勝てない」と感じたからです。
自分は、最初のスタートがそもそも「お金を稼げるだろう」そんな安易な発想がメンズエステ業界に入った入口。何も知らない世界ではありましたが、とにかく学んで、本気でやればいける…という気持ちでいた。
ですが、就職して、管理職向けの研修など、いわゆる社内の期待されるメンバーが集まる場に出ると、やっぱり志の高い人たちがたくさんいるわけです。純粋に「エステが好き」「お客様のためにやりたい」「困っている人を助けてあげたい」そういう、本当に熱のある方がたくさんいた。
そういう人たちにはやっぱり勝てないんです。もう圧倒的に強いんです、熱がある人たちって。だから、「あぁ、全然違う。自分が甘かった」と痛感させられた。本当に確信しました、「無理だ」と。
それに、お客様にも失礼ですよね。自分がお客様の立場だったら、やっぱり熱のある人から買いたいじゃないですか。「この人は私のために説明してくれている」そう感じることができる人から買いたい。
自分が小手先の技術をどれだけ勉強したところで、その領域に達することはできない。それを実感した。
その根っこのマインドで負けていては、どれだけ技術があっても勝てないと。
だから、別の道に行こう、そう思い、区切りをつける決意をしました。それが、21歳くらいのときのことでした。
なくならない仕事「植木屋」との出会い
20歳を過ぎて、16歳から働いていたこともあって、そろそろ本当に「決めなきゃ」みたいな焦りもありました。ちょっとやばい…ちゃんと見つけなきゃ…悶々としていました。
それで、まず「自分が就職できる仕事って何だろう?」そこから入りました。
どちらかというとやんちゃな学生時代だったので、「やっぱり外仕事かな?」と。「自分が一番自分らしくいられるって、そういうところかな?」と。そんな考えに至りました。
外仕事にも数多あります。単純に「建設業」で調べても様々な仕事がある。
その中でも、一番面白そうな仕事がやりたい、まずそう考えました。
ちょうどその頃に、ふとした会話の中で父が、「緑ってずっとなくならないよな」「そういう仕事はないのかな?」とボソッと言った。「この先も一生なくならないよな」そんなことを言ったんです。それを聞いて、「確かに!」と思いました。そのとき初めて「植木屋さん」という仕事の存在を意識しました。
確かに植木って、世の中に溢れている。だけど、仕事としてこういう「庭木を手入れする仕事」があったんだな・・・それが初めて繋がった瞬間でした。
外の仕事ですし、何か決まった形がない。たとえば建設業なら、どこか図面ありきの仕事というイメージが強かったのですが、植木屋さんはまたちょっと違う。特殊というか、相手が自然なので、ありのまま。純粋にそれも面白そう。あとは運動神経にはすごく自信があったから、「木登り?できるだろう」とどこか安易に捉えていた。
やっぱり、緑ってなくならない。なくなったらもう地球がなくなってしまう。そういったものに携わることができる仕事、というのはいいかもなと思えました。
ひとくくりに「造園業」といっても、その領域は多岐にわたる
そこで、植木関連の求人を探してみたものの、少なかった。ただ、たまたま1社だけ新聞の折込に入っていた求人誌に相模原市内の植木屋さんが載っていたので応募し、面接を受けに行き、結果、採用してもらえました。
ゼネコンの、いわゆる工事現場の植栽の仕事が多い造園会社でした。サツキ等を、何百・何千・何万株・・・と植える仕事です。もう掘っては植え、掘っては植え…の繰り返し。お盆や年末などのシーズンだけ、個人邸の手入れの仕事をしていました。
植えることについては、その会社で場数を踏むことができました。ですから、植木を植える知識は身につきました。今だからわかるのですが、植木屋さんでも、「巨大なサイズの植木は植えることができない」そういう職人さんはたくさんいます。自分はそこで10m・20mクラスの木を植える、そういう経験をそこで積むことができましたので、良い経験をさせてもらえました。
ただ、「切る」ことはまた別。
その当時の植木屋さんの世界は、まだ職人あるあるというか、「3年間は掃除」だったり、そういう昔ながらの風習があって、自分がいた会社もそれがまだ残っているような職場でしたので、その会社には3年ほど勤めたのですが、結局はあまり個人邸の手入れの経験を積むことはできませんでした。
次の職場も相模原市の造園会社で、結構古い会社でした。そこでは、植木のことも学ぶことができました。そこでも3年ほど働かせてもらったのですが、その中で、「外構工事の知識や技術も身につけておいたほうが良いな」と感じるようになりました。
次に移った先は、植木・外構から土木・塗装まで、何でもやる会社でした。公共工事やマンション外構、本当に規模の大きい公園を作る…そういうお仕事も携わることができました。すごく良い会社で、「どんどんやれやれ」「やって覚えろ」という社風で、多くの経験を積ませていただきました。
その会社に入る時点では、独立することを視野に入れていました。
ただ、「独立することを考えている奴を雇ってくれるかな?」という不安はあって、でもその不安を抱えたままで就職するのも嫌だったので、応募の電話の際に「今こういう会社に勤めています。5年後に独立したいです。そのために経験を積みたいです。それでも雇ってくれる会社を探しています」と正直に話をしました。すると、その電話に対応してくれた社長が「だったらうちに来いよ」と言ってくれたんです。
入社してからも、事前に自分の意志を伝えていたので、職場の仲間も自分が独立することを理解してくれていて、とてもやりやすい環境でした。本当に感謝しています。社長は、「ゆくゆくウチを出た後も、ウチが助かるように手伝ってくれれば、お互い様でしょ」と言ってくれる人でした。結局そこで4年強、5年いかないくらい働かせてもらいました。
当時、27歳ぐらいになっていて、そのタイミングで独立を決めました。社長からも、「そろそろやってみろ」と声をかけてもらいました。
いざ独立。しかし、作業のこと以外はわからない。
植木屋の道に進んで8年が経っていました。
経験を積む中で、「もうこれしかない」そんな思いが強まっていました。純粋に楽しかったですしね。木に登るのも、コンクリートを流し込むのも楽しかったです。
ただ、いざ独立となったときに、「作業員」として仕事をしていましたから、営業面や会社経営、そういったことには一切携わることはない。ひたすら技術を磨き続けていましたから、それ以外のことが何もわからない。事業を起こしたいと思っても、やり方がわかりませんでした。
その点は、現場をやっているときから一番の不安要素ではありました。「自分はいつも仕事をしているけど、あれいくらで請けている仕事なんだろう?」ということすらわからない。
造園業の仕事の幅の広さについても考えました。造園って、植木屋の仕事がメインの会社もあれば、外構メインのところもある。土木がメインのところもある。
私が最後に勤めた会社は歴史が古く、現場社員が7〜8人いました。皆20年選手…そういう人たちばかり。そういった環境にいたので、「これをゼロベースから作り上げるって、相当大変だな」「どれだけ時間がかかるんだろう?」という不安もありました。
そんな風に考える中で、幅広い中でも、自分はやっぱり植木の仕事をやっているときが楽しかった。自分には植木仕事が合っているんだな、だったらスタートは植木の仕事に絞り切ってしまおう、と考えました。
植木屋に絞り込んだとき、次に考えたのは、「植木屋さんってどうやって食べてくのか?」です。植木屋として独立して、個人邸メインでやっている職人さんはまわりにたくさんいました。でも、話を聞いてみると、自分の仕事だけで年間通して安定させることができている人ってほとんどいない。だいたい一人親方になって、大きな会社に常用として所属している、そういうスタイルの方がほとんどでした。
oh庭yaとの出会い
聞けば聞くほど、自分が独立した後、どうやってベースを作っていくのかがわからなかった。
だから、あれやこれやと植木屋や造園業のことを調べていると、当然のようにoh庭yaさんが出てくる。
当時、橋本に店舗がありましたから、その存在は知ってはいて、看板に『庭』って書いてあるから、植木屋さんか庭の同じような業種なのかな・・・当時はそのくらいのイメージでした。むしろ正直なところ、どちらかというと、掃除屋さんのようなイメージを持っていました。
でも、よくよく調べてみると、フランチャイズ展開していることがわかった。きっとこれ以上のことはネットじゃ調べられない。調べ切れないし、「話を聞いた方が早いな」と思い、すぐ問い合わせをして、東京支店で面談の機会をいただきました。
とにかく話を聞いてみようと思って、いろいろと質問させていただいて、すごくマッチした部分が、この仕事を「サービス業として捉えている」という点でした。「植木屋ではありません」というスタンスだった。それを聞いて、「そうなんだ!」と、なんというかストーンと腹落ちした感覚でした。私も「自分がもし植木屋になるとしたら、どうやるんだろう」というのはずっと考えていたし、描こうとしていました。
それが繋がった。「サービス業」と聞いて、「これは圧倒的に違いを出せる」と。エステ業界での経験から、自分の中で、「エステは究極のサービスだな」と思っていた。お客様のデリケートな部分の話を伺い、提案していく。言いづらい話もありますし、そういったことも汲み取っていく、そういう仕事をしていた。まさにサービス業。エステはエステならではの特殊性はありますが、それでもそこでの経験は活かせると思いました。
もし自分が植木屋として独立するなら、「職人です」感を出したくなかった。「僕は職人です」というスタンスよりも、お客様にちゃんと寄り添えるような職人でありたいと考えていた。だから、「なるほど、これだな!!」と直感しました。
また、話を聞く中で印象的だったのは、当時oh庭yaさんは「店舗を出さないと開業できません」というスタンスだったことです。
そう言われ、調べてみたのですが、その当時、植木屋で、フランチャイズで、店舗を出さないといけない、って多分なかった。だから、当然リスクも考えました。だから、時間をいただいて考えました。ひとり考える中で、「逆に、店舗を出している植木屋さんってどこだろう?」という発想になりました。「植木屋で店舗」というと、まず置き場があって、そこには「〇〇造園」「〇〇植木」っていう看板がドカーンとあるわけです。一般の人にとってはどう見ても近づきづらいし入りづらい。
自分が造園会社にいる間も、たしかに近所の人たちは仲が良いですから、事務所にやって来られて「手入れやってよ」と声をかけてくださることはありました。でも、新規のお客様が飛び込んでくる、という経験はありませんでした。
だから、「逆にこれ、店舗を出した方がお客さんがいっぱい来るんじゃないか?」そんな発想になりました。
そのときに振り返ったんです。そういえば、自分が(橋本にあった)oh庭yaさんの相模原支店を目にしていたときも、店舗の看板を見て、「こういうお店、あるんだな?」と意識していたなと。自分が知らないだけで、本当はそういう店舗があれば訪れて声をかけたいというお客様はきっと少なくないんじゃないか?と考えた。
だから、とりあえずやってみようと決めて、すぐに中村さんに電話しました。
難航した店舗物件探し
それから、増島社長(現会長)との面談の機会をいただくことになります。
本当にざっくばらんにただただお話する、そんな時間でした。
「やりたいの?」「やりたいです!」「だったらやってみなよ」って。「え?」って感じでした。「本当にいいんですか?」「いいよ、いいよ」「やってみたらいいじゃん」って。
最終的には、「あとは場所(店舗)だね」って話になって、そこから場所探しが始まりました。
かなり探しました。八王子のいろんな不動産に問い合わせましたし、自分でも八王子中を探し回りました。
でも、本当になかった。見つかりませんでした。
それでも探し回って歩いているとき、たまたまめちゃめちゃ古い不動産屋さんを発見したので、飛び込んでみた。「今こういう物件を探してるんですけど、何かないですかね?」って聞いてみたら「いいのあるよ」って出してくださって。「今(募集は)出してないんだけどね」って。建物が古いので、オーナーが潰すかどうか迷っていたそうなんです。そんなタイミングだから、その物件は元がラーメン屋さんだったのですが、全部そのままでした。厨房もあるし、カウンターもあるし、テーブルもあるし、全部そのまま。「全部そのままだよ?」「それでも良いの?」と聞かれました。
そのときに、不動産屋さんから、「植木屋さんでしょ?あんなとこ、何に使うの?」と聞かれました。「別に山奥の置き場でいいでしょ」「その方が安いし、広いし」と。たしかに、そういうイメージを持ちますよね。だから、「違うんです。看板をバチーンと出したいんです!!」という想いを伝えました。
それで、「いいよ、オーナーに聞いてみるよ」って言ってくださった。でも、最初はオーナーも微妙な反応でした。
さらに追い打ちをかけるかのように、本部の中村さんにもNGを出されたんです。当然候補物件が見つかったので、oh庭ya本部にも「こういう物件が見つかりました」と報告して、「ここでやりたいです」と伝えたら、最初は「駄目だ」との返答でした。後々理由を教えてもらえたのですが、当時の自分にとっては「?」でした。「あんな良い場所でなんでダメなの?」と。しかも家賃も8万円と考えていた予算に収まっている。
「ここしかないです!」と思っていたので、もう一度「やるならもうここ以外ないです」と中村さんに伝えました。「増島社長(現会長)に言ってくれ」「ここじゃないとできないって言って欲しい」そう伝えました。
そうこうしているうちに、オーナーから「いいよ、やっていいよ」とお返事をいただけました。当然、やっぱりもうここしかないという想いは強まっていきますよね。
だから、実はそのとき、この物件を認めてもらえなかったら、oh庭yaをスタートするのはやめようと考えていました。本当にそう思えるくらい探し回りましたから。これだけ動いて「ここだ」と思える物件に出会えたのに、それを認めてもらえないってことは、「やるな」ってことだなとなんとなくインスピレーションで思っていた。
でも、その後、増島社長(現会長)が八王子まで物件を見に来てくださることになった。実際にご覧になられて、「ここ、いけるだろう」とおっしゃってくださった。なんとか開業への道筋が開けた瞬間でした。
研修中から実感する店舗の威力
開業にあたり、技術的なことは経験もありましたあし、全然問題ないと思っていましたから、課題はお客様とのやり取りでした。植木屋に勤めていたときは、現場作業以外の接客だったり、お客様とのやり取りは実際やったことはありませんでした。
当然見積もしたことがありませんし、金額感も正直わからない。「高いって思われたらどうしよう」「安すぎちゃったらどうしよう」そんなことを不安に感じていたことを覚えています。
ただ、不安に感じる余裕はあっという間になくなりました。研修中から、お客様からの問合せのお電話がコールセンターに入り始めたからです。研修スタート前の段階で店舗が出来上がっていて、看板もバチーンと出すことができていて、それをご覧になられたお客様が「いつ来れるの?」「いつ(お手入れ)やってくれるの?」とお問い合わせをしてくださった。研修担当の澤口さんから、「野﨑さん、研修が終わったらすぐにお客様のところに行かないとですね」と言われて。「マジですか?大丈夫ですかね?」そんなやり取りをしていました。
研修が終わって八王子に戻ってからも、コンスタントにお客様からご依頼の電話をいただくことができて、もう「見積もり行かなきゃ」「作業に行かなきゃ」そんな日々でした。研修から戻った翌日からもう作業をしていました(笑)
初めてのご依頼のお客様の仕事で、実はちょっと恥ずかしいエピソードがあります。
店舗のすぐそばにお住いのお客様からのお手入れのご依頼。見積を出すのも初めて、金額を扱うのも初めてです。それで、消費税の計算を間違ってしまった。お客様から「これ、お釣り多いよ」って突っ込まれたんです。本当に最初のお客様でしたから、めちゃめちゃ緊張していました。お客様にも素直に「お客様が第1号なんです。いろいろ間違えていたらすみません!」とお伝えしていました。
その1件目が終わったときは、少しほっとしました。こうやってお客様からお金をいただくんだなというのを実感できて、何となく流れを掴むことができた。
開業当初、苦戦したスケジューリング
慣れるまで一番大変だったのはスケジューリングです。ありがたいことに、お客様からのご依頼の電話が絶えず鳴っている状況だから、見積にも行かないといけないし、作業にも行かないといけない。
作業も、実際1人で動くとなると、意外と読みづらかった。経験はありましたが、それまで勤めてきた植木屋・造園会社での経験だと、現場にはそれなりに人数がいたり、パッカー車があったり、という状況だったので、その前提でどのくらいの時間で現場が終わるかをよむことはできていた。でも、1人になると効率が全く変わるので、どれくらい時間がかかるのかがよめない。
それに、お客様にどうお伝えすれば良いのか、というのも当時はわかっていませんでした。
たとえば、ありがたいことに多くのご依頼をいただくことができて、スケジュールも埋まってしまっていて、その状況でさらにご依頼をいただいたときに、「1か月後になります」とそのままお客様に伝えてしまったりしていました。お客様には「何それ?」と言われますよね。「日中は現場が入っちゃってて、夜なら行けるんですけど…」って。現場が早く終われば行けるんでしょうけど、早く終わるかもわからない。それに、早く終わったからと言って、お客様に電話して「今から行けます」と言ってしまってよいものか?とか、そういうことも全くわかっていない、そんな状態でした。
スケジュールが埋まって見積が1カ月待ち・・・どうする??
ただ、振り返ると“追われた”ことが結果的には自分とってプラスだったと思います。
否応なくやらなきゃいけない状況になった。その結果として場数を踏むことになった。
ご依頼いただいたら、とにもかくにもお客様に電話。「●時ぐらいになりそうなんですけど、その時間でも大丈夫ですか?」「この日だったら時間作れそうです」「行けるとわかったら、すぐ電話しますね」そんな風にお伝えする。スケジュールは埋まっている。その埋まっている中でも、お伺いすることができる可能性があることをお客様にお伝えしておいて、「行ける」となったらもう1回電話して伺う。
最初はそれが「失礼なことなんじゃないか」と思っていました。
でも、お電話でちゃんと正直に、「こうなりますけど、どうですか?」とお伝えすると、お客様も「そうなのね。もし来れそうだったら連絡ちょうだい」と理解してくださる。こちらができるだけ早く行くための努力をしていることがきちんと伝われば、お客様はわかってくださる。
ただただ「1ヶ月後になります」なんて言い方をしてしまったら、「何よ、それ」と思われてしまうけど、「(スケジュールが)ちょっとこういう状況で、でもここで頑張れるかも」とできる限りのことをお伝えすると、「そっか」とわかってくださる。
只々本当に失礼だな…とは思っていました。1ヶ月後ってありえない。しかも見積で1カ月待ちって…と。最初はそれをどうすれば良いかわからなかったのですが、何とか少しでも早く行く方法を考えましたし、お客様にどうやって心地よく待ってもらうかを経験の中で覚えていきました。
場数を踏んでいくことで、作業時間のヨミも精度が高まっていきました。「この作業なら、何時に終わるな」というのがわかってくるので、スケジュールもスムーズに進むようになっていきました。
襲いかかる台風・・・。
しかも、開業1年目は、台風もありました。
台風が来たときには、もう本当に「死ぬ!!」と思うくらいやばかったですね。強力な台風だったので、あちこちで木が倒れたりして、台風の翌日だけで17件、お客様からのお問い合わせがありました。電話対応に追われて作業が進まないくらいで、作業に伺っているお客様にも事情をお伝えしてご理解いただきながら対応しました。
とはいえ、スケジュールはもともと埋まっています。伺えるとしたら、もう夜。本当にギリギリ暗くなるまで作業して、22時、23時にお見積に伺う、そんな状況でした。
それでも状況が状況ですから、「何時でもいいからとにかく見に来て!」って言われちゃう。それはそうですよね。倒れてしまっていたり、倒れかかっていたりで、お客様からしたら「大丈夫なのか」と不安ですから。
自分としても、「とにかく行ってあげた方がいいだろう」という気持ちで、できる限りのお客様を訪問しました。ただ、「作業はできないですよ」とお伝えして。伺って状況を見れば、どれだけヤバイかは把握できると思って、可能な限り訪問しました。その上で、作業できるものはその場で対応しました。ほんとうにヤバイものについては、翌日・翌々日に予定していたお客様にご連絡して、「台風で緊急のお客様がいて…」と相談して延期させていただいたりもしました。ご理解いただけて本当にありがたかったです。
「もうこれ死んじゃうな」と思いましたよ。しかも、帰ったら管理表(今回の依頼内容や作業内容、請求内容をまとめた書面)や図面も作成しないといけない。結構頑張ってまめに書いていたので、作業が終わって帰って来て、書類をつくる。「やばい。こんなにキツいの?」って、もういっぱいっぱいでした。
ただ、今になって思えば、大変ではありましたが、やっておいて良かったです。ちゃんとやったことの記録が残っていて、それを今でも見返すことができる。ちゃんと頑張ってやっておいて良かったなと思います。
とにかく走り抜けた5年
現状は、1カ月の仕事の中で、新規とリピーターさんの比率が4:6くらいです。
まだまだ新規の方も多いです。地域性なのか、毎年ご依頼いただける、というよりは、2年~3年に1回のご依頼のお客様が結構多い、そういうイメージです。お客様とやり取りしていて、私も無理に毎年のお手入れをご提案しない方がいいかなと感じることもあって、意識的にそうしています。
1年の流れでいうと、5月ぐらいから忙しくなって。12月・1月ぐらいまではバタバタバタバタしています。
そこは毎年猛烈な日々で、「もうやばい」って毎年言っているような気がします( 笑)
それだけお客様から問い合わせやご依頼をいただけているということでもありますし、まだなんとなくではありますが、事業としてはベースができてきた。
2~4月になると、やはり仕事は減ります。とはいっても、1人分ぐらいはなんとなっています。パツパツに詰める・・・とまではいきませんが、日々をこなせるぐらいのご依頼はいただけています。通常のお手入れ案件、あとは、人工芝の施工だったり、防草シート施工だったり、工事系のお仕事も多くなります。
あとは、前職の社長から声をかけてもらって手伝いに行ったりもしています。前職の造園会社は公共がメインですから、3月がめちゃくちゃ忙しいんです。社長も3月になったら、自分が少し暇になるとわかっているので、2月ぐらいに「そろそろいけるか?」と連絡が入ります。それも助かっています。
開業5年。お客様からのプレゼント
去年、とても印象的な出来事がありました。
1年目、本当に開業してすぐの頃にご依頼いただいたとあるお客様で、その後も2年に1回ぐらいのペースで継続してご依頼いただいている方がおられます。
開業から5年経った頃に、そのお客様から「また、やってよ」とご連絡をいただいて、伺ったら、「野﨑くん、そろそろ5年目だよね?」と言われたんです。「え?覚えてくださったんですか!?」と驚きました。覚えてくださっていただけですごく嬉しかったのですが、そのお客様が「記念にこれ」とハンコを渡してくださった。松の絵が描いてあって、「野﨑」って名前が書いてあるハンコ。「うわ、すげえ!」と思わず声が出ましたし、感動しちゃいました。「野﨑って名前が入ってますし、いただかないわけにいかないですね」「すいません、本当に」と受け取ったのを覚えています。
そのお客様は、最初に伺ったときのことも覚えてくださっていて、そんな風にお客様の記憶の中に残るというか、そういった関係をつくることができたことがうれしかったです。ただの外仕事、工事現場などでは味わうことはできないですから。
今まで自分がこの仕事をやってきて、本当に「やってきたことが間違っていなかった」と実感できた、本当に純粋に嬉しかったエピソードです。
oh庭yaはサービス業である
この仕事はサービス業・・・シンプルにそう捉えています。それは「お客様ありきの仕事である」と言うことです。だから、お客様が言ったことに対して「NO」とまず言わないことを常に意識しています。「やれない」「できない」と断るような言い方は絶対にしない。
たとえば、お客様のご要望があるとします。「こうしてほしいんだけど」とおっしゃる。その通りに切ってしまうと、植木のことを考えると「こんなに切っちゃうと、ブワって吹いちゃうな」とか「もしかしたら駄目になっちゃうかもしれないな」ということもあります。ちょっと木に対して心苦しいときもある。でも、そういうときに、ちゃんとお客様に説明することが大切だと考えています。「作業としてはご希望の通りにできます。でも、もしその切り方で切ってしまうと、もしかしたら来年ブワって吹いてきたり、その反動で枯れてしまうリスクもあります。でもそれでもお客様が良いということでしたら、その通りやらせていただきます」とお伝えしています。できるだけ『NO』という言い方にならないように心がけています。
この業界での経験があるからこそ、その当たり前に囚われずに、きちんとお客様と対話して、「要望通りに手入れをするとこうなるよ」ということも伝えながら、結果的にきちんとお客様の希望される形になるように仕事をする、そう決めています。絶対に自分のエゴを押し付けない、そこは強く意識しています。
忙しすぎることが悩み
oh庭yaに加盟して、純粋に生活の面で言えば、自由ができました。自分の時間を作りやすくなりましたし、家族の時間を確保することもできている。これはすごくメリットを感じています。もちろん収入の面でも、すごく良くなりました。
仕事としても、日々色々な人とのやりとりがあって、飽きが来ません。
たまに嫌なお客様もいらっしゃったりします。嫌だなって思うこともゼロではありません。
でも、それも含め「oh庭ya」という仕事です。ただの植木屋さんではこうはならない。そういったやり取りも含めて、oh庭yaの仕事が成り立っていく。5年経って、よりリアルに感じるようになりました。
おかげさまで法人なりもさせていただいて、1人従業員を雇うこともできて、少しずつ会社らしくなってきました。私が描いていたように進むことはできているかなと思います。
大変なのは、やっぱり忙しすぎること。
本当に目まぐるしい毎日で、それは大変だなと純粋に思います。スケジュール管理が下手なんでしょうね、まだまだ課題です。
でも、ありがたい悩みではあります。仕事のない怖さと比べたら、全然ですから。
八王子で「濃く、強く」
現在は、繁忙期でひと月の売上が150万〜250万円くらいです。
閑散期も80〜100万円ぐらいは立てられています。
年商で3,000万円になります。
先日前職の社長とお会いしたときに現状を報告したのですが、そのときに、「その仕事の単価でその月商はすごいことだよ。それはすごいことだから、ちゃんと誇りなさい」と言われました。
まだまだではありますが、ある程度のところまでは来たのかなと思います。
今後の課題は、どうやって広げていくかです。その点は、もうずっと悩み続けている気がします。
2店舗目の立川西砂店出店にチャレンジしたときも、「広げたい」という純粋な想いからでした。
でも、実際にやってみて、気持ちだけじゃどうにもならなかった。本当にただ自分の焦りだけが募っていき、何の結果にもつながらない・・・そんな状態になってしまいました。
立川西砂店をクローズしてから、今一度自分の足元をしっかりさせないと・・・そう考えました。
もう、八王子というエリアでいかに「濃く、強く」を実現するか、今はそこに集中しています。
八王子市という市場でいかにoh庭yaの顧客を増やし、市場を開拓していくか。それを、従業員を増やしながら、ちゃんと固めていくことができるか、そこは今後、私がやっていきたいことです。もっとより濃く・・・そんなイメージでいます。
以前、自分の顧客について調べたことがあります。私のお客様層って、どれぐらいのエリア感なのだろう?と。八王子市って、市の中でも広い方ですから、その広い市の中で、お客様はどう分布しているんだろう・・・というのを調べてみた。
結果は、10分〜15分圏内のお客様が多くて、20分圏内のお客様がほとんどでした。
でも、八王子って、奥まで行くと、30〜40分かかる地域があって、その層はまだ全然ご依頼いただけていない。
だから、ちゃんと伸ばそうと思えば、まだまだポテンシャルのあるエリアです。
今、野立て看板を出してお客様の反応を見たり、調査したりしています。
本当に、まだまだ知られていません。
八王子で5年やっていますが、30分圏内のところにもまだ認知されてないというのが実感値としてあります。それは、「まだまだマーケット、全然ある」ということでもあります。
マーケットがあることがわかっているだけに、それに応えるための体制をどう作り上げていくのか、それが今後のテーマです。
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