INTERVIEW

西宮店・須山オーナーインタビュー

須山 美智男

開業日
2017年3月7日
店舗
西宮店(兵庫県西宮市)
oh!庭ya!店舗ページ
https://www.oh28ya.com/branchf/nishinomiya/

須山 美智男 オーナーの開業STORY

小布施の野球少年

地元は長野県上高井郡小布施町というところです。最近は年間で120万人近い観光客が訪れる町です。小布施は、長野盆地という長野でいちばん海抜が低いところで、そんなに雪が降らないので、生活もしやすい。だから、最近移住する方が増えているという話も聞きます。お客様の中にも「晩年、長野に住みたい」とおっしゃる方もおられます。ただ、そんなときは、「冬の長野を見てからにしたほうが良いですよ」とお伝えするようにしています。やはり、冬支度というのは当然必要ですから。

子供の頃は、とにかく「ガキ大将」でしたね。いつも何人か仲間を引き連れていましたし、悪さもいろいろやりました(笑)
中学に上がってからは、スポーツ中心でした。野球をずっとやりたくて、「中学生になったら野球をやろう」と思っていたのですが、通っていた中学校に野球部がなかったんです。仕方ないからバレーボール部に入って、高校に入ってから野球を始めました。兄2人がずっと野球をやっていましたし、兄2人も同じ高校でしたから。
高校時代は野球に打ち込みました。甲子園には行けなかったですけどね。そのころから私立の学校の強化が進んでいて、「県立で甲子園」というのはなかなか厳しかったですね。

ちなみに、手前味噌ですが、高校1年のころにプロからスカウトが来ていました。当時はピッチャーで、コントロールは悪かったのですが、とにかく肩が強かった。1年生で左利きで、身長も高かったので、それだけで注目してもらえました。当時の南海と近鉄のスカウトが来てくれていました。
ただ、2年の春に肩を壊してしまったんです。それからは打つ方に専念しました。中学時代は野球をやっていなかったのに、高校に入って1年からレギュラーになって、試合に出ていた。ベースができていない中での実践で肩を壊してしまった。肩が痛いから肘で投げて、今度は肘を壊して・・・。悪循環でした。中学校から本気で野球をやっていたら、人生変わっていたかもしれないですね。

社会人野球の道へ

高校を卒業後は、就職しました。アパレルの会社です。野球つながりでした。まだ野球から離れられなくて、野球をやりながら仕事をすることができる環境を選択しました。自分でもそういう環境を求めていましたし、声をかけてくれた会社があったんです。

入社してからは、日中は仕事をして、夕方から練習して、という生活でした。ただ、仕事とはいっても企画室配属。デスクワークで、仕事自体はそんなに忙しくありませんでした。野球で入社したメンバーは優遇されていました。

そういう生活を3年続けて、21歳のころに会社の寮から出ました。そのときに、「このままではいかん」と思ったんです。昔からガキ大将気質で、旗を振っていたような人間が、年功序列の会社で埋もれている。「俺は自分の何を活かせるのか?」と考えた。そして、「自分自身を活かすには、東京に出て行くしかない」と考えたんです。

自分を活かせる場所を探して上京

当時、兄が東京にいたので、兄の紹介でウイスキー関係の代理店に入社しました。
入社して、7年ほどがたった頃、外資大手による買収劇がありました。それまで日本に各ブランドごとに代理店があったのですが、ぞれが全部なくなった。全部ご破算になって、その外資大手が日本に支社を出して、そこに統合される形になったんです。

その会社に、ご統合された各社の中から「これだけ社員として迎え入れますよ」と。1,000人いたら200人とか、そんな世界。でも、なんとか繋がって、そこに行くことになりました。

そこはもう完全に外資なわけです。移ったときに、環境ががらりと変わった。自分の成果が給料に跳ね返る、という完全成果主義の世界です。まだ日本では成果主義が浸透していない時代。昔ながらの日本の年功序列の評価制度から、真逆の制度に変わった。でも僕はその形が好きだった。自分の成果を正当に認めてくれる。その環境にやりがいを見出しました。ちょうど30歳くらいの頃でした。最終的に責任者を目指そうと自分の中で決めて仕事に取組み、39歳のときに中四国の責任者になりました。

外資から外資へ、酒類業界を渡り歩く

41歳のときに、その会社がなくなるって話になったんです。
母体の外資大手が出資している別の会社があって、そちらの会社に全商品を任せると。僕がいた会社は解散。当時社員が300人くらいいたのですが、移ったのは30人くらいでした。「30人しかいらないよ」と。そのときも、なんとかその30人の枠に残ることになった。

そこが、いわゆる盃ブランドの洋酒の会社だったんですよ。さらにシビアな外資でした。成果はもちろん、成果をあげるまでのプロセスを全部説明した上で予算を取って、結果に繋げないといけない。常に何かコトを起こすときには、社長とか役員の前でプレゼンが求められる。プレゼンをして、質問に対して答えて。もうすごくドライで、「こういうことやります」って言うと、どうやって?その手段は?予算は?って淡々と聞かれる。そして最後に聞かれるのが「いつまでに?」と(笑)。営業って明確じゃないですか、数字が。結果としての数字ももちろん見られるし、そのプロセスも見られる、という環境でした。たしかに給料は良かったんですけどね、「やれば」(笑)。そこでもなんとか生き残ることができて、最終的には東日本の統括でその会社でのキャリアを終えました。

その会社に教わったのは、「ブランド」。「我々は、我々自身がブランドなんだ」と。営業ひとりひとりが、社員ひとりひとりがブランドであると。だから、服装や靴など身だしなみのことは強く言われましたよ。「クールビズ?ふざけんな」でした。年中、常にネクタイ。ビシッとスーツを着る。「ヨレヨレの服着てが売れるか?」と。ブランド価値を上げて利益を出す、という考え方ですから。
流通も、一番高く売るところに一番出荷する。販売価格を上げれば、供給が増える。その流通関係の交渉をやる人間がいなかったので、東日本の統括をやりながら、その窓口も担当していました。

そこに13年くらいいて、53歳くらいのときに、別の会社に行きました。これだけシビアすぎる環境にいると、自分のことで悩むというより、人との接し方がドライにならざるをえないのがきつくなってくるんです。自分が抱えている部下に対して、上は)平気で「10人減らして」と。50人くらいのチームなのに、さらりと言ってきますから。そういうことが続くと、きつくなってきた。そのかわり、手厚いですよ、お金は。辞めることに対して、給料の10か月分支払うとか。

ちなみに、13年いる中で、社長が6回交代しました。社長もいわば雇われです。本国から言ったらね。僕たちと同じように、「どういう目的でやるんだ」ということをやられるわけですよ。だいたいが2年か3年で去っていきます。彼らも、ステップアップとして来ていますから。結果が出なくて辞める人もいれば、結果を出して次のステップに行く人もいます。1年で辞めた社長もいました。無理な目標を立てたのかもしれません。ある日突然いなくなります。「辞めます」と言って出ていくわけじゃないですから。いなくなる。もう、夜逃げ同然です。

53歳になったときに、もうちょっと小規模の会社から、「全国の営業統括で来てくれないか」という話があり、転職しました。そこで59歳まで働きました。ちょうどそのタイミングで組織が変わったんですよね。日本の大手酒類メーカーと業務提携して、営業はすべてサッポロビールに任せるという話になった。営業がいらなくなったんです。

サラリーマン生活にピリオドを打ち、独立へ

退職後も、色々なお誘いはいただいたのですが、もう酒類業界はいいかなと。
今度は酒類業界以外もいろいろな業種を見てみようと考えて、退職時に紹介された会社やエージェントに紹介を受けた会社の面接を受けたりもしたのですが、「もうサラリーマンはいいかな」と考えるようになりました。自分の精神状態を落ち着かせて働きたいなと。そうなると、自営しかないなと考えました。組織に縛られて仕事をするのはもういいかなと。自営であれば、すべて自分の責任ですから。自分の裁量、自分の責任、そのほうが自分の性に合っている。

ただ、自営をやるにしても、単独でやるには、軌道に乗せるまでに時間がかかるとおもいました。そこで、フランチャイズという手があるということで、色々なフランチャイズの説明会を聞きに行きました。
ですが、どこも結局は組織と同じでがんじがらめだなという印象を受けました。たとえばA社(おそうじ本舗)は、「事務所出しなさい」「掃除するための機械はこれを買いなさい、いくらですよ」・・・とあまりにさらりと言う。その反面、「1,000店舗やる」とか、「上場する」とか言う話をしていたけど、自慢話にを聞きに行ったわけじゃない。これはあまりにも思っていた独立とは違うなと感じました。それと、室内での仕事も自分には合わない。そんなに器用なほうではないですから。B社(金沢屋)は、ふすまを取り扱うフランチャイズでした。これだけたくさん新築が建っても、和室がないっていう建物が多くなっているじゃないですか。だから、将来的にどうなんだ?という不安はありました。

oh庭yaとの出会い。全く経験のない“植木屋”の世界へ

その後で、oh庭yaと出会います。出会った瞬間、「なんなんだこの『oh庭ya』っていうのは」と感じました。その瞬間、自分自身の幼いころを思い出しました。うちの父親が兼業農家で、園芸指導員もやっていました。地域のね。子供の頃、冬になるとりんごの木の剪定に行ったりする父によく一緒について行っていました。それを思い出して、「これ、楽しそうだな」とピンと来た。

それから、説明会でFC開発本部の中村さんの話を聞ききました。いろいろと条件はあったにしても、独立採算的にやらせてもらえる、という印象を持ちました。それなら、oh庭yaの看板をお借りしてやってみようと決断しました。
そこからはもう早かったですね。2月に説明を聞いて、3月にオープンする段取りをしていました。自分の中でワクワク感が強かったので、スピードも速かったです。

植木屋という仕事の経験は全くありませんでした。ですが、それ自体への不安は意外とありませんでした。昔から、何かやろうというときに、「やってみてから考えよう」というタイプだった。もちろん最初は心の中では、「依頼は来たけど、剪定の技術も何もないのにどうやってやろうか?」と思っていましたよ。たった1週間の研修で始めているわけですから。でも、その中でも、やりたくてしょうがなかった。やりたかったけど、いざお客様のところに行ってみたら、「どうやってやるの?」「剪定鋏はあるけど、どうやって切るの?」っていう世界ですよ、最初はね。
でも、ここで営業経験が活きたのかもしれません。やっぱり、「『お客様は何を求めているんだろう?』ということを聞くところから始めるんだな」という答えに行きつきました。高度な技術を求められている方というのはそうそういません。ご要望は、「庭をスッキリさせたい。」「木を低くしてほしい。」そういうざっくりとした内容です。そのざっくりしたご要望に対して、どれだけこちらからご提案できるかが問われます。「こうしたらどうですか?」ということを言えるかどうか。ですから、そんなに心配することはないと思います。一般的な挨拶などがきちんとできるのであれば大丈夫ではないでしょうか。

oh庭yaが大切にしていること

いろいろな経験をされた方がoh庭yaの説明会に参加されていると思うのですが、僕は大切なことは、「お客様ときちんと挨拶ができるか」だと思うんです。「営業だから」「口がうまいから」ってのは違います。やっぱり、聞くことから始まって、とことん聞かせていただいて、その中から「こうおっしゃるということは、お客様はこうしたいんだな」というのを紐解いていく。だから、業界の難しい言葉は使わなくていい。むしろ使わないようにしています。たとえば、「伐採」という言葉ひとつとっても、間違えるお客様は意外と多いんです。剪定と伐採を勘違いされている。だから、業界用語は使わずに、とにかくお客様は何をしてほしいかをお客様のわかる言葉で表現するようにしています。
もちろんお客様の中には、ご要望をはっきり言わない方もいらっしゃいます。「綺麗にしてくれたら」と。そんなときは、「綺麗にする」ってどういうこと?剪定すればいい?木だけなのか?いや、下(地面)もだろ?と、お客様の「綺麗にする」は何かに思いをはせて、ご提案させていただく。
もちろん最初からできるわけではないですから、自分の中で、できないんだったらできるようにしようと。だから期限をつけました。半年以内にお客様にプロと見ていただけるだけの技術を身につけようじゃないかと。そのためにはある程度知識も必要だし、当然のことながら草木の名前も覚えなきゃいけない。だから、半年間は猛勉強しました。また、庭師として活動している方が手入れをしたお庭を見て、どうやっているのだろう?と想像したりもしました。そういうことを半年間繰り返していくうちに、自分に自信がついていきました。

昔ながらの庭師さんというのは、「こうあるべきだ」という型にはめる・・・そういう話をお客様から伺うこともあります。それが良いとか悪いとかではなく、oh庭yaとしては、お客様のご要望に近づくように、ちゃんと話を聞いた上でお庭のお手入れをして、お客様の求める結果に繋げていく、というのがやり方ですから。それが今までの庭師さんとの差であり、違いです。

それこそ、基本は“地面”だと思います。地面から始めて最終的に木も任せてくださるようになったお客様は、結構おられますから。最初は草刈りや草取りから始まって、最終的に木も全部お願い、と。

ご依頼を”こなす”ので精一杯だった1年目

1年目は、コールセンターから引き継がれるご依頼をこなすので精一杯でした。そんな中でも次への布石として、チラシも結構配りました。ですが、チラシからの直接の効果よりは、ご依頼いただいたお客様からの紹介でのご依頼の方が多かったです。あるお客様で、一気に6件のご近所の方を紹介してくださった、というケースもありました。そのご紹介いただいたお客様のお庭でお手入れしていたら、さらに「うちもやって」と声をかけられて、さらにその輪が広がっていきました。ありがたい話です。

もう8年目に突入しまた。
今では、日々伺うお客様のほとんどリピーター様です。9割以上になります。年に2回以上伺うお客様が300件を超えています。今は、リピーター様の対応に精一杯で、新規でご依頼いただくお客様の対応がままならない、というのが新たな悩みです。そのために、1名スタッフを増やしました。
1人のときは、月に35件対応するのが限界でした。今は2人になって、45~50件は対応できるようになりました。売上もそれに乗じて増えています。まだそのスタッフに1人で現場を任せる、というまでには至っていませんが、それが実現すれば、さらに対応できる件数も増やしていくとができると思います。

月商は、100万円を超えています。本当に繁忙期になると、150万円を超え、200万円弱くらいまで伸びる月もあります。去年1年間で1,400万円くらいの売上でした。
1年目は忙しくてしていても、月商60~70万円くらいでした。自分の力量・スピードの問題です。それが、経験を経て、自分の力量も上がり、現在のような結果が出るようになりました。

業界でよく耳にする閑散期

1月は、12月の流れでスケジュールが埋まっている現状です。課題になるのは、2~4月ですよね。私は、2月でしたら、寒肥を中心にお客様のところを訪問しているので、そのときに御用聞きというか、ご状況を伺ったり、ご提案をしたりしています。たとえば「草が落ち着いているので、その間に防草シートを施工したらどうですか?」などです。
とにかくお客様との接点を増やすようにしています。
もう7年やっていますから、コールセンターから引き継がれたお客様と、自分で獲得したお客様とを合計したら800件以上は伺ったことになります。その中で、300件を超えるお客様が継続してご依頼してくださっているおかげで、1年間安定して運営ができています。

「あなたが来てくれて、初めて花が咲いたよ」

oh庭yaをスタートして3年目くらいのことです。
今では年間管理で伺っている甲東園のとあるお客様。そのお客様からの最初のご依頼が、「お庭に花を咲かせたい」「実のなる木には実を付けたい」というものでした。「今まで花もろくすっぽ咲かない。実のなるウメやユズも、実がなったことがない。なんでなんでしょう?」というご相談から始まったんです。91歳の方で、ほとんど部屋から出ない、ベッドで寝た切りの方でした。
私自身もも何をやったらいいかわからない。もちろん打ち手はあるとしても、生き物が相手ですから、答えはない。
だから、本当にいろいろ調べましたし、勉強しました。
1年かけてお手入れさせていただいて、1年が経過し、2年目に入った頃に、花が咲くようになって、ちゃんと実もつくようになったんです。
驚いたのは、花が咲き、実がなったことで、そのお客様が喜ばれ、元気になったことです。「寝たきりだったのに、お庭に出て、ご自身で掃除をされるまでになった。」と娘さんからお知らせいただいて、そこまで元気になったことを、娘さんもほんとうに喜んでおられました。それは私もとても嬉しかったですね。

そのお客様から多くのお客様をご紹介をいただくことになるのですが、最初にお客様の要望を聞き、できる限りを尽くしたことが信頼につながったのかなと思います。

よく、『お客様の満足度』なんて言いますが、お客様に寄り添い、いっしょにお庭を整えていく、見ていくっていうのは、最高の喜びですよね。

オーナー間の交流

最初のきっかけは、研修が一緒だったメンバー。いわゆる同期ですよね。同期でやり始めました。その後、関西のメンバーが増えていく中で、関西メンバーでグループLINEを作りました。そこから、新しいメンバーが入ったら、そこに加わってもらっています。
今年も関西メンバーで新年会をやりました。「須山さん、今度いつやるの?」って煽られて(笑)。「俺に聞くなよ」って言ってるんですが、勝手に幹事にされています(笑)。「須山さんが音頭とってくれないと集まらないから」って言われて。まぁでも、年長者ですからね。
「年1回じゃ足りないから暑気払いもやってください」って言われて、今年は夏にも集まる予定です。
こういった場があると、そこで色々と情報交換ができます。みんなそれぞれ自分の得意不得意がわかってきていますから、仲間から情報を得たり、悩みを聞いてもらったり、ができる時間というのは有意義ですよね。
みんなそれぞれ個性がありますから、ひとつの正解ってなかなかないと思うんです。ただ、うまくいったり、うまくいかなかったり、という中で、なんでうまくいったのか、なんでうまくいかないのかっていうのを、一緒にやっている仲間と交流することで、「こうすればいいんだ」「あぁすればいいんだ」というのがわかってきますよね。

大切にしていること

僕の地域だけではないと思いますが、「服装はは見られます。「お庭は家の外でやるから、汚い格好でいいじゃないか」というものではありません。西宮・芦屋のお客様は、僕らが伺うときは、正装して出て来られます。きちんと化粧して、きちんした服装で出て来られます。それに合わせるのもプロの仕事です。

oh庭yaというのは、ひとつのブランド。そのブランド価値を高めるのは人です。僕の過去のキャリアの話じゃないですが、「ひとりひとりがブランドなんだから」と。そういうことを、オーナーみんなが意識して取り組んでいけば良いと思います。ブランドを借りて仕事をしているわけですから。
ひとりひとりがブランド価値を意識することが、oh庭ya全体のブランド価値の向上に繋がると思います。

oh庭yaをスタートして良かったこと

自由であること。自分のやったことの結果が返ってくること。すべて自己責任でできること。責任って言ったら重くなりますけどね。仮に結果が出ていないときでも、売上を上げることができる方法を自分で見出せば、結果は変えていくことができますから。今までサラリーマンをやってきて、個人事業主としておにわやの傘下に入らせてもらって、一番の喜びはそこですね。
独立をしたいとは思っても、足踏みされている方もおられるのかもしれませんが、やっぱり守られているから、なかなか踏み出せない。僕もまわりに何人かいるんですよ。「独立したいんだけど・・・」と言いつつ踏み出せない。それは会社に守られているから。毎月の収入を保証されているから。独立するということが、ひとつの冒険になるんですよね。たしかに冒険かもしれないけど、そこには自由がある。これは僕が外資のキャリアが長いからかもしれないですが、明日は我が身というか、いつ首を切られるかわからない中で仕事をしてきたからそう考えられるのかもしれません。でも、そこは自分で打破しないと次には進めない。でも、冒険と言いますが、oh庭yaの事業で言えば、どんな地域で始めても、ゼロってことはないですから。だから、踏みとどまる理由はないと思います。

今だから言えることかもしれませんが、ワクワク感を持って飛び込んでほしいなと思います。不安はあるとしても、帰って上司とどうのこうの・・・とか、そういうことはないわけですから。
この仕事を始めて、お酒を飲まなくなりmさいた。長くお酒の業界にいたのにです。しかも、僕は実家が長野県で、親戚縁者はみんな酒を飲む人間ばかり。集まったらみんな一升酒を飲んで、誰も崩れない。友達が「須山の家には行きたくない」って言うくらいでした。行けばつぶされるからって。それで仕事でも40年間、強いアルコールを飲んできた。バーのマスターだったり、スナックのママさんだったりがお客様ですから、酔わない飲み方をしないといけない。一晩でボトル1本なんてのは当たり前の世界だったので。
でも、この仕事をやっていると、次の日のことを考えるんですよね。「明日梯子登るな」って。二日酔いで梯子登れないですから。でも、アル中にはなってなかったんでしょうね、すっとやめることができたってことは。
今は、体を動かす仕事ですからおなかもすきますし、おいしくご飯を食べられています。

逆に、対応しきれなくなってきていることが目下の悩みです。贅沢ですね。ご依頼いただいても、お客様の要望の時期に収めることができなかったり、それは心苦しいです。「今月中にやってほしい」と言われても、来月になったり。改善していきたいです。

“とりあえず”70歳まではやります

まずは、もうひとり増やして、売上を2,000万円をひとつの目標にしています。あと2年でそこまで持って行って、法人化しようかな、というのは考えています。
正直、西宮・芦屋という地域で、多くのお仕事をいただけていて、取りこぼしも多い。今、「攻める」ことができていない。ご依頼いただいたお客様への対応で精一杯という状況です。だから、人を増やして余裕を持てるようにして、現場はスタッフに任せられるようにして、自分は営業のほうに専念できるようにしたい。

もっと先の話すると、西宮・芦屋にとどまらず、たとえば僕の故郷である長野。そういう地域ともラインをつなげられたらとも考えています。いろいろな地域に拠点を設けることができても面白い。特に、関西みたいな冬支度が必要ない地域ではなくて、雪国とか。雪国は、まだoh庭yaの出店は少ないですよね。そういった地域で「冬場どうしたらいいんだ」「雪かきしたらいいじゃないか」って模索したりするのも面白い。雪吊りや雪囲いもありです。僕は北国育ちですし、父親が雪の中でも剪定なんかもやってましたから。

地方に行けば、たとえば農家の後継ぎがいない、と耳にすることも増えていますよね。僕みたいに、東京に出ていったり、他県に出て行って仕事をする、みたいな人間が地元に戻らない、でも、地元に拠点や仕事があれば、とどまって働く、という選択肢にできるかもしれない。

oh庭yaを始めて3年くらいしてからうやっと、増島会長が「この会社・この仕事はサービス業なんだ」とおっしゃる意味がわかってきました。だから、増島会長が執筆された「俺たち地球散髪家」も素直に読めました。

とりあえず、70まで頑張ります。
70歳まで頑張って、その後は松の木限定で現場に行くとかね。高いところは後進に力をつけさせ、任せられるようにしてね。
この間、ゴミ捨てに行ったとき、捨て場で年配の方がゴミを下しておられたんです。「あの人いくつ?」って聞いたら、「82歳だ」って。「でも須山さん、ここに来る人で、最高齢88歳ですよ」って言うんです。車運転するのも大変な年齢なのに、まだ木に登ってるのかって驚きました。

この仕事は定年がありません。
今一緒にやってる人間が49歳です。彼に言うんですよ、「ええなぁ、お前」って。「最高だなぁ」って。だって、まだまだこれからでしょ。あと何年できるの?って。そういう仕事ですよね、この仕事は。生涯現役がほんとうに目指せる、そんな仕事です。

市原店インタビューを動画で見る

  1. HOME
  2. 先輩インタビュー
  3. 西宮店・須山オーナー

CONTACT

お問合わせ

※ご注意!

本お問い合わせは、oh!庭ya!へ加盟検討される方を対象にしています。
フランチャイズに関する各種営業はお受けしておりません。

お電話からお問合わせ

受付時間:9:00~18:00(日曜日を除く)

担当:フランチャイズ担当者までお電話ください

フォームからお問合わせ

受付時間:9:00~18:00(日曜日を除く)

担当:フランチャイズ担当者までお電話ください

説明会

日程を確認する

説明会の日程を確認する